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挑戦する毎日
私は、幼い頃からサッカーが大好きで、高校生までの15年間仲間とともに切磋琢磨しながらサッカー人生を楽しんできました。
大学生になり、どのような形でサッカーに関わろうか模索していたところ、TSUBASA FCと出会いました。サッカーをプレイする選手から教える立場に変わりましたが、サッカーに対する情熱は増す一方です。
TSUBASA FCはたくさんの方々からご支援を頂きながら、昨年、20周年を迎えました。現在は、33名の選手、19名のコーチングスタッフが在籍し、日々活動しています。
「知的障がい」と聞くと、「できることが制限されている」「本当にサッカーなんてできるの?」
と思う人もいるかもしれません。私もその中の一人でした。しかし、練習をしている選手たちを見てみると、とにかく驚きの連続です。彼らが一生懸命取り組んでいる姿を見ていると、私も感化されます。
当日は、選手たちの挑戦と私たちの思いを精一杯プレゼンしたいと思います。
星 裕貴
TSUBASA FC監督/高崎健康福祉大学人間発達学部子ども教育学科3年
挑戦する毎日
皆さんこんにちは、星 裕貴です。突然ですが皆さんは、知的障がい者に対して偏見の目を持ってはいけない、障がいは個性である、というような言葉を耳にしたことがありますか?きっとここにいる多くの人がそういった言葉を耳にした事があると思います。
今の社会では、知的障がい者に対する偏見をなくし、彼らが生きやすい環境を整え整備する事への意識が高まってきています。
私はTSUBASA FCという知的障がいの方が参加するサッカーチームと出会い、知的障がいに触れる事が多くなりたくさんの経験をしました。そこで今日は短い時間ですが、皆さんに私の経験をお話ししようと思います。
申し遅れましたがここで自己紹介をさせていただきます。高崎健康福祉大学の3年生で今TSUBASA FCで監督をしています。幼、小、中、高とサッカーに励みサッカー歴はなんと17年になります。真ん中の2枚の写真をご覧ください。向かって左側が中学生、右側が高校生の時の写真になります。中学生から高校生になるタイミングでもっと体を大きくしたい、強くなりたいという思いを込めて筋トレに励みました。するとこのように大きなお尻と馬のような足を手に入れる事ができました。しかし、高校の部活を引退したとたんみるみるうちにブクブクと太り出し、今ではBMI25を超える体型になってしまいました。皆さん、何かいいダイエット法があれば教えて欲しいです。
以上で自己紹介を終わりにいたしまして、次にTSUBASA FCの紹介をさせていただきます。TSUBASA FCは全員が楽しい場所を目指す、知的障がい者の社会人サッカーチームです。下は高校生、上は50歳代のおじさんまで約30名の選手が所属しています。私たち大学生はコーチングスタッフとして練習に参加し、サッカーの技術を教えたり、レクや会話を通じて選手たちと交流をしています。
毎週日曜日午前中の週一回の活動ではありますが、月曜日から始まる仕事や学校への活力を得られるような場所になっています。昨年度クラブ創立20周年を迎え、引退した選手やスタッフを含めると総勢150名を超える大きなサッカーチームになっています。
年に一度7月に一番大きな大会、ファイトカップという大会が行われます。この写真は去年のファイトカップの様子です。結果は7チーム中3位という結果ではありましたが、選手全員がゴールに向かって走る姿にはとても感動しました。今年も開催される予定なので、今年こそはチーム一丸となって優勝を目指したいと思います。
さてここで、TSUBASA FCのある日の活動を紹介いたします。まずは上の写真をご覧ください。これは本格的なサッカーの練習が始まる前に、体を温めるという目的を持ったレクリエーションに似たアップというものをしている様子です。このアップは私たち大学生が毎週オリジナルで考えています。次に下の写真をご覧ください。これは基礎練習といって対面ボレーやパスなど試合に直結する技術を、スタッフと一緒に高めている様子になります。
このように、TSUBASA FCではサッカーの技術を高めるだけでなく、皆で楽しく交流をするということを念頭において活動をしています。暑い夏の日の練習の終わりには選手とスタッフが一緒にアイスを食べたり、私が選手に向かって写真を撮るよとカメラを向けると、選手が好きなキャラクターのポーズをして写真に映ってくれます。写真からもわかるように選手同士だけでなくスタッフ同士、または選手とスタッフとても仲がいいです。選手もスタッフも個性が豊かなので、毎週の練習は本当に楽しいです。
このあたりでTSUBASA FCの紹介を終わりにして、私がTSUBASA FCに関わってからのことをお話ししようと思います。大学生になり、どのような形でサッカーに関わろうかと模索していたところTSUBASA FCと出会いました。TSUBASA FCの活動を知ったその当初は、知的障がい者なのにサッカーなんて出来るの?知的障がい者なのにコミュニケーション取れるの?など知的障がいという事に対してネガティブなイメージを持っていました。
でも練習に参加していくと自分でも知らぬ間にそんなイメージは消えていました。練習の休憩時間には簡単なパス交換をする事もあったり、ドラマの話をすることもあったりと大学の友人とくだらない会話をするかのように選手たちと交流をしていました。
休憩の時間が終わると、選手たちはみんな真面目に誰一人としてサボる事なく最後まで走る姿や、自分勝手にドリブルをするのではなくパスを回したり、「ヘイ!」と大きな声でパスを呼んだりしていました。さらに「ドンマイ」「ナイスシュート」などチームメートを励ます声を出す選手もいて、知的障がい者なのに試合でゴール決められてすごい!知的障がい者なのにこんなにコミュニケーション取れていてすごい!知的障がい者なのに仲間と協力が出来ていてすごい!知的障がい者なのにこんなにたくさんの事が出来ていてすごい!と思うようになっていました。
また、新しく取り組む練習でも手順1、手順2といったように順序をつけて説明をする事によって、最初はぎこちないけれど段々と上達していく姿を見て私たちスタッフはとても嬉しかったし達成感も感じていました。私たちスタッフが選手が成功するためにレールを敷く、選手がそのレールを通ることによって、選手は新しい事が出来たという達成感を感じる事が出来るようになるのだと思っていました。
しかし、その考えが間違っていたという事に気が付きました。それは昨年の夏の事です。私はスタッフから監督という立場になりました。そこでチームの方針を決める話し合いをスタッフ同士でしました。あるスタッフがこんな事を言ったのです。「試合で点決められてすごいのって、知的障がいを持ってるからなの?」その言葉を聞いた瞬間、今まで私の中にあった知的障がいに対する概念が全て覆されたような感じがしました。
知的障がい者だからサッカーが出来ている事、知的障がい者なのにコミュニケーションが取れている事、このようなことに対して私は必要以上にすごいと感じていました。出来ない事を知的障がい者だから出来なくてしょうがないと捉え、出来るようなった事を知的障がい者なのに出来てすごいと捉えていました。
そういう捉え方をしていると出来ない事への過程はそれぞれ違うのに、反対に出来るようになった事の過程はそれぞれ違うのに、そこに目を向けられていなかった、その事に初めて気が付きました。選手を知的障がい者という大きなくくりで見ていました。ということはつまり、選手一人一人を無意識のうちに個人として判断するのではなく、知的障がい者という大きなくくりの中の一人として見てしまっていたという事です。
例えば、サッカーが得意な選手にはどのように動いたら点が取れるのか、反対にサッカーがちょっと苦手だなという選手にはヒントを与え導くというような対応をするようになりました。私たちスタッフが選手のためにレールを敷いて選手がそこを通るのではなく、私たちスタッフは道しるべとなり選手が自ら考え行動する事によって、成功体験を得てそれから成長が出来るのだなと思うようになりました。
TSUBASA FCに関わるようになった当初は、例えば「Aさん、パスがもらえてすごいね」「Bさん、試合でゴール決められてすごいね」とAさんBさんを一くくりにして捉えていました。でもそれは違って「Aさんはちょっと声出す事が苦手だけど、今声出してパスもらえたじゃん、すごいね」「Bさんは自分の意見伝える事が苦手だけど、自分の意見伝えてゴールにつながったね、すごいね」と、それぞれの成功までの過程に目を向ける事が出来るようになったのです。
知的障がいと一くくりに言ってもそれぞれレベルも違います。障がいは個性だ、障がい者という大きなくくりで捉えて欲しくないと私は思います。障がいを持っていようがいまいが、個人としてその人を捉えて欲しいです。
ただ、今の社会では障がい者を個人として捉えただけでは変わりません。そこで私は皆さんに障がい者を障がい者に対して偏見の目を持ってはいけない、その考えだけではとどまらず、障がいを理解しようとする姿勢を持って欲しいと考えます。理解すると言っても知的障がいに関する知識を十分につけて欲しいというわけではありません。どうして?という言動をしているのを見た時に、自分なりに理由を考え納得するという事が大事だと思います。私もTSUBASA FCに関わる前は、例えば電車の中で大きな声を上げている人を見たら、ああ、知的障がい者だからかなという理由で捉えていました。大半の人がそう思うだけなのではないのかなと思います。
今の社会では、知的障がい者に対して偏見の目を持ってはいけないという考えが一般化しているので、冷たい声や冷たい視線を送る人はほとんどいません。でも、自分とは違う障がいを持っていると思う事で、皆さん無意識のうちに心の中に不安を覚えるのではないのでしょうか。不安なものとそれ以上関わりたいと思いませんよね。でも、大きな声を出す理由がわかればその不安も解消されるのではないのでしょうか。
例えば、知的障がい者の方が大きな声を発してしまう理由の一つに、自分を落ち着かせる為というものがあります。この事を理解していれば、少なからずある知的障がい者への壁もなくなるのではないでしょうか。知的障がいといっても一人一人の一つ一つの行動を一瞬で判断することは、そんな事はできません。
でも例えば、電車の中で大きな声を出しているのを見たら、自分を落ち着かせる為なのかなと思えば不安の解消にもつながり、私たちも気持ちが楽になるのではないのでしょうか。
これから生きていく中で皆さん知的障がい者の方と出会うことがあるでしょう。もしかしたら思いもよらない言動を取っているかもしれません。その行動だけを切り取ってみると理解がしがたいかもしれません。でもちょっと踏み込んで考えてみると、とっさに判断する事への苦手意識だったり、コミュニケーションを取る事への苦手意識だったりが原因だったりします。
こうして行動を紐解いてみると私たちの苦手なものと似ていませんか?いや、ちょっと俺コミュニケーション苦手なんだよね、いや、私優柔不断なんだよなんていう事をよく耳にします。こうやって考えてみると親しみを感じないでしょうか。
それなのに知的障がい者という彼らを総称する言葉でくくってしまって、必要以上に壁があるように感じます。壁を作る事で理解する姿勢を放棄してしまっているのだと思います。
知的障がい者に関わらず、他者がどうして?と思うような言動をしているのを見た時に、自分なりの理由を考え納得する事によって考え方や見方が変わり、皆が気持ち良く生活出来る社会になるのではないのでしょうか。
ご清聴ありがとうございました。
高田千秋さんのメッセージです。
「スポーツを通じて障がいのある方との関わり方を考えてゆく内容は
高田千秋さん、有り難うござました。