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僧侶が医療に貢献できること
昨年、「宗教者もチーム医療の一員に入れて下さい!」と発言させていただきました、僧侶の遠山玄秀です。昨年の懇親会で、秋山先生から「来年は是非、あちらで」と言われましたが、そんなことはもちろん、冗談だと思っていたのですが。。そんな私が今年は、プレゼンテーターとして登壇させていただきます。「宗教者が医療にできること。」 チーム医療に入れて下さい! とほぼ勢いだけで言ってしまった昨年。それから、宗教者は本当に必要なのか否か? 必要なら何が出来るのか? そんなことを頭に置きながら色々と活動して参りました。そんな1年の集大成。普段とは全く違う視点、宗教者のプレゼン、色々な意味で楽しんでいっていただけたらと思います。どうぞ、お手柔らかにお願いいたします(笑)。
遠山玄秀
上行寺副住職
僧侶が医療に貢献できること
司会:今日は僧侶が医療に貢献できること。
上行寺、遠山玄秀さんです。どうぞ、お進みください。
遠山:皆様、こんにちは。ここに立ってるだけで、すごい異質な感じになってしまうかと思うんですけれども、私どう見ても、どう見てもですよね、僧侶をしております。
決して、なんちゃって僧侶ではありません(笑)。
実際にお経も上げていますし、色々なことをさせていただいております。
そんな私が1年前、チーム医療推進全国会議で、
「チーム医療にお坊さんも入れてください!」
と発言をさせていただきました。まさか、こんなことになるとはホント、露にも思わず、1年後にこうやって登壇させていただくことになりました。
どうぞよろしくお願い致します。
さて、皆様方、”お坊さん”、”僧侶”に一体、どんなイメージをお持ちでしょうか。
何人かにお伺いしたいと思うんですけれども。
先ほど、一隅を照らす運動について話されたワカバヤシ先生を指そうと思っていたのに消えてしまったので、ちょっと困っています(笑)。
三村先生、お願いします。
三村氏:そうですね。僧侶のイメージというと、どちらかと言うと”終末期をみていただく人”。僕の今のイメージでは”一緒に仕事をする人”と思ってはいますけれど、ちょっと前まではそういうイメージしかありませんでした。
遠山:ありがとうございます。もうお一方くらい、お若い方に… じゃあ、せっかくなのでお願い致します。
参加者:この空間の中にいるので、”心の拠り所”とか、そういうふうに思うんですけど、そうでなければ、第一印象としては、どなたかのお通夜とか、そういった所で”お経を上げる方”というイメージなんですけれども、この空間だとやはり、最後の最後に救いを求めるというか、心の拠り所なんじゃないかなとイメージしています。
遠山:ありがとうございました。
作ったスライドです。まさに、『死』、あるいは、お『葬儀』という、今、本当にありがたい回答をいただきましたが、このイメージが実際、すごく強いと思います。
また、今お答えいただいたように、『頼りになる人』。
この2つが多分、強いイメージではないかと思います。
この2つを軸に、医療にどうやって貢献できるかということをお話しさせていただきます。
その前に、私の自己紹介を。明らかに異質なので、何をしてるお坊さんなんだろうということで、ちょっとだけお話しさせていただきます。
日蓮宗の僧侶をしております。
私、8年ぐらいになるんですけど、今までお葬儀として関わった方が大体、200~300人くらい。供養自体は多分、1000人以上の方と関わりを持たせていただいております。
ほんとに、ちゃんと、お坊さんをしております(笑)。
それから、『終活』ですね。
終わりの、エンディングの活動を色々させていただいております。
今朝も、NHKの8時半くらいの番組でエンディングノートの特集をしておりましたけれども、そういったことであったり、つい先日お亡くなりになられました流通ジャーナリストの金子哲雄さんですね、あの方が、自分のお墓の場所を決めていたり、あるいは、来た方の会葬礼状ですね、”ありがとうございました”という、そういった死の準備をすることによって、今をいかに生きるかと、そういった活動をさせていただいております。
また、もうひとつ、グリーフサポートバディ(※1)。
”グリーフサポート”といって、大切な人を亡くした方の心のケアを、それを如何にやるか、如何に、どうするかということを考えながら今、僧侶をさせていただいております。
そんな中で、私たち僧侶が『医療にできること』は何か。
やはり、先ほどお二方にお答えいただいたように、『死』に近い部分でございますので、やはり”終末期”であったり、”ターミナル”、ターミナルケア… その部分になると思うのです。
「トータルペイン」という考え方があるかと思います。
(スライドを指しながら)これ、私、適当に作った図なので間違っていると思いますけれども、一応、『フィジカル』『ソーシャル』『メンタル』『スピリチュアル』という4つのペインがあると言われています。そんな中で先日、実際にビハーラ(※2)という、ビハーラ僧として終末期に関わっているお坊さんと色々お話しする機会がありました。その方が仰っていた実際にやっていること、それは、『メンタル』、そして『スピリチュアル』。
その最期… 自分の命があと少しとわかった人。
そういったときは、
「なんで私は生きているんだろうか」
「亡くなったら、どこに行くんだろう」
「こんなの、私じゃない」
そんな思いがあるそうです。自分の存在自体を考えてしまう。
それが、『スピリチュアル』だと言われております。
また、私はここに『グリーフ』ケアも入ってくると思っております。
当然、余命幾許かという宣告を受ければ、やはりそこで、自分の命を喪失するという喪失体験が実際にあると思います。そういった部分で私たち僧侶は関われるのではないかと思っております。
また、私たちが関われるのは、患者さん。当然、患者さんに関わりますが、それだけでしょうか。(笑)先に写真が出てしまいましたが、実は、医療者の方にも関われるのではないかと思っております。
看護師さんが頑張っている写真でございます。
でも実際、現場で自身が関わった方を亡くされたとき、そういったときの”心のケア”というのはどうなっているのでしょう。
病院によっては、デスカンファレンスといったものがあるかと思います。
昨日、神奈川県看護連盟というところの勉強会にゲストスピーカーとして呼ばれて行って参りました。そこでもやはり、『死に』対するテーマで色々お話させていただきました。
そこで出たのは、市長さんの言葉では、
「やはり、市長と一般の看護師というところでは、そこに利害関係があるから、全部を話すことはできない」
「そういった受け皿が実際に、ない」
あるいは、看護師さんの言葉では、
「そんな人がいるなら、是非ともお話をさせていただきたい」
そんな内容でございました。
仮に、そういったことがなければ、大切な患者さん、自分が大変関わりの深い患者さんを亡くしてしまった場合、そういったケアがなければ当然、悲しみに明け暮れ、最悪の場合は、バーンナウト ― 自身が燃え尽きてしまい、看護師という職を辞めてしまう。
あるいは、自ら命を絶ってしまう。
そういった大変つらいこともあるかと思います。
実際、私、このようなお話を最近色々なところでさせていただきました。
そうしたら、看護師さんから、
「実は私、こんな経験があるんです。聞いてください」
ということもございました。
おそらく、話す場がなかったんだと思います。
実際にお話をお伺いしましたら、止まりませんでした。
2時間、3時間… あっという間にその方はお話をされていました。
お話をさせていただいたように、私たち僧侶というのは、やはり人の『死』の部分に関わりますので、終末期医療、そこに、先ほど申し上げましたような部分で関わることもできます。
また、今お話しさせていただいたように、”医療者自身のケア”でございますね。
患者さんを亡くした場合、医療者はそこで関係性が絶ってしまうことも多いかと思います。
けれども、私たち僧侶は、その後の”供養”という部分で家族に寄り添うことをしております。
時々お伺いするのは、
「あの看護師さんにケアをしてもらえて(よかった)」
「あのドクターでよかった」
というご遺族の声です。
けれども、残念ながら私は今、その言葉をお伝えする相手がございません。
けれども、もしそこで、担当のお医者さんや看護師さんにその声を直接届けることができたら、医療者のバーンナウト… 燃え尽き… そういったものは少なからず減るのではないかと思っております。
ですので、是非とも、チーム医療とはいいません、皆様方の頭の隅に、お坊さんという、そういう人もいるんだということを是非とも覚えてお帰りいただきたいと思っています。
どうも、ご静聴ありがとうございました。
司会:ありがとうございました。
”お坊さんがいることも忘れないで”というメッセージ。
本当に、伝わってまいりました。ありがとうございます。
司会2:どうもありがとうございました。
遠山:ありがとうございました。
司会2:1つだけ、ちょっとお伺いしたいのですけれども、医療の外の目でご覧になられて、僧侶といいましょうか、ご自身が関れる機会がきっとあるだろうとお考えになられた ― 非常に説得力があって、その通りだなと思いましたが、もしも、他にこういう人たちにも協力してもらえたらもっといいんじゃないかという観点があおりでしたらお聞かせいただきたいのですが、何かございますか。
遠山:医療の部分で?
司会2:そうですね、医療を良くするために、医療以外の方で。
遠山:私は僧侶という立場ですけれども、私がよくお会いするのはやはり、葬儀社さんであったり、その部分で関わるんですね。今、8割ぐらいの方が病院で亡くなって、葬儀社の方が迎えに行きます。けれども、実際にそこで、病院の医師や看護師と葬儀社は連携が全くないと思いますけれども、このあいだお伺いしたのは、在宅で看取った時に、看護師さんが一所懸命に身体を拭いて、送ったと。それなのに、後から来た葬儀社さんが、湯灌(ゆかん)といって、もう一回、身体を全部きれいにしちゃって、納棺をした。せっかく、看護師さんがきれいにしたのに。
「自分たち、何のためにきれいにしたんだろう」
という思いがあると聞きました。
仮にそこで、看護師さんと葬儀社さんがお話しができていれば、そんなこともないのかなと。そういったことも、ちょっと思ってはおります。
司会2:ありがとうございます。外部の方の、皆さんが普段お気付きになられないような観点での問題提起が1つでもあれば、皆さんのチーム医療を、さらに良くしていかれる活動に御活用いただけるのではないかと思い、伺ってみました。ありがとうございました。
遠山:ありがとうございました。
※1 グリーフサポートバディ: 死別による悲嘆(グリーフ:grief)に陥った人を支える人材。一般社団法人グリーフサポート研究所認定資格。
※2 ビハーラ(Vihara):古代インドにおいて仏教経典の記録などに使用されたサンスクリット語。原意は「精舎・僧院」「身心の安らぎ・くつろぎ」「休息の場所」。
このプレゼンテーションは動画をもとにボランティアに手をあげてくれた方がテキスト化をしてくれました。
どうも有り難うございました。