- 内容:Contents
- プレゼンター:Presenter
- テキスト:Transcript
よりよき人生の最終章のために ~人生最期の締めくくりのお手伝い~
老衰は自然の摂理であり、老衰は治せない。
老衰が進めば徐々に食べなくなり、自然の麻酔がかかり、穏やかに老衰死・平穏死ができる。
それなのに、医療者も家族も、医療を過信して医療を受けさせなければならないと思ってしまう。
現在、特別養護老人ホームで常勤医として働いている。
役に立つ医療と役に立たない医療とを仕分ける、家族の気持ちを調停する、すなわちコーディネーターみたいな仕事をしている。
もともとサラリーマンだったが、医師の偏在化に少しでも役に立てないかと思って、医者になった。
しかし、初期研修を含めて病院勤務わずか3年で老人ホームへ。
色々な患者さんがいたはずだが、点滴などの管に繋がれ、時には拘束された寝かせきり高齢者ばかりが、なぜか僕の目に飛び込んできた。
病院での人生最終章は、ご本人のためになっているようには見えなかった。少なくとも、自分が患者さんの立場だったら絶対に嫌だと思った。
<僕のこの施設での役割>
人生の最終章に医療はほとんど必要ないように思う。
何がご本人のために一番いいか、自分がその立場だったらどうして欲しいかを考えながら、人生最後の締めくくりのお手伝いをさせていただくこと。そのために、ご家族とじっくりと対話すること。
<医療が良くなるために>
多くの人が自宅で死にたいと思っているのに、多くの人が病院で亡くなっている。人生最終章の高齢者の現状を、少しでも多くの人に発信していければと思う。
自宅や施設で、過剰な医療を受けることなく、枯れていくように亡くなっていく。昔当たり前だった老衰死・平穏死を、少しでも増やしていけたらいいなぁと思う。
死は生と連続している様に思う。死ぬとは、生き抜く、生き切るとも言える。死に様とは生き様とも言えるだろう。死を忌み嫌うのではなく、今よりもちょっとでいいから、人生の最期や死について考えながら生きていく。そんな社会になってくれたらなぁと願う。
…
本多智康 HONDA TOMOYASU
特別養護老人ホーム上北沢ホーム 医師