西 智弘: 社会的処方が拓く未来

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社会的処方が拓く未来

こころやからだの調子が悪くて病院に行けば、患者さんは薬の処方箋を受け取る。でも、本当の問題は「医療モデル」だけでは解決できないかもしれない。診療所に持ち込まれる問題のうち2割は「社会的孤立」によるものという報告もある。でも、私たちにはそれも医療で解決するしか手段がない。
このとき、体操やアート、地域のサークル活動などを紹介できたら、社会的孤立が解消され、薬がなくてもその人の健康問題は解決するかもしれない。
薬と同じように「社会とのつながり」を処方するから社会的処方。
イギリスでは、釣りやアート活動を処方された高齢者がうつ病から脱したり、認知症の症状が軽くなったりという例も報告されている。
この仕組みを日本でも取り入れようと考えて作られた「社会的処方研究所」。Research、Factory、Store(暮らしの保健室)の3つの仕組みで、日本型の社会的処方をどう動かしていくのか?そして社会的処方がどんな未来を拓くのか?ということをお伝えしたい。

西 智弘 NISHI TOMOHIRO

川崎市立井田病院腫瘍内科医師/一般社団法人プラスケア代表理事 CEO

社会的処方が拓く未来

医療者よ、社会へ目を向けよ
答えのない問いに果敢にチャレンジしている先生。

私は川崎市で癌を専門に診療している医師です。今日は皆さんに社会的処方というものについてお話ししたいと思います。

私は成し遂げたいことが一つあります。それは「安楽死」というものを世の中から消してなくすということです。安楽死というと、安楽死制度の話になるかもしれませんが今日皆さんとここで安楽死制度の是非を議論するつもりはありません。是非を議論するまでもなく世界にはすでに安楽死制度のある国があり、それは年々増えています。日本にも、いずれ安楽死制度はできるかもしれません。私が考える安楽死をなくすというのは、その制度があったとしても「それを使いたい、もう死んでしまいたい」と考える人を減らしていきたいという事です。

その鍵を握るのは緩和ケアと考えています。緩和ケアというのは、癌だと思った病気にかかった時に、その苦しみを癒し、その人が生きていく事を支えるためのケアです。この会場の中にも、緩和ケアと聞くとそれは終末期の話なんじゃないかと考える方がいらっしゃるかもしれません。しかし、今は緩和ケアというのは癌などの大きな病気だと診断された時にかなり早期のうちから入っていくべきとされるケアとなっています。

そもそも人はどういった時に死にたいと思ってしまうのでしょうか。「死」というのは3種類あると言われています。肉体的な死、精神的な死、社会的な死。私たち医療者は、このうち肉体的な死ということばかりに目を向けてきたのではないのでしょうか。肉体的な死を避けるために治療をする。その苦しみを緩和する。そして、肉体的な死が訪れたところで診療が終わる。しかし、その肉体的な死が来る前に実際には精神的な死・社会的な死というのがあるんです。癌と診断されて「あなたはもうこの社会からはいらない人間です」と病院に閉じこめられ、心が死んでゆく患者さんというのを見てこなかったでしょうか。まだ肉体は生きているのにも関わらず「もう死なせてください」と訴えてくる患者さんを見てこなかったでしょうか。

私たちは今、社会的な死・孤立というところに目を向けるべきとことにきているのだと思います。社会的孤立というのは、先進国の中で今大きな問題になりつつあります。社会的孤立というのは、周りに人はいるにも関わらず、その人たちと「繋がっている」という感覚が持てない孤立のことです。社会的孤立とあるだけで、寿命が縮み、認知症が悪化し、自殺率が上がるといったことが分かっています。

 

その社会的孤立の解決方法として、今イギリスなどで注目されているのがこの社会的処方です。社会的処方を端的にいうと、薬を処方して人を健康にするのではなく、地域とのつながりを処方することで人を健康にする仕組みと言われています。

例をあげましょう。例えば、ある80代の男性が 不眠を主訴にクリニックを受診したとします。そこで「眠れないんですね、じゃあ睡眠薬を出しておきます」というのが一番ダメな3分診療というものですね。 もう少し気の利いた医者であれば、その人が眠れない原因を生活習慣から聞き取って「引きこもりになっているのが眠れない原因なんだな」と突き止めるかもしれません。そしたら、その医者はこう言うでしょう。「日中、家にばかりいるからですよ。もう少し外に出て運動したらどうですか?」でも、これだとまた上手くいかないですね。もっとよく話を聞いていくと、実はこの男性は半年前に奥さんを亡くし、これまでは奥さんがこの方を外に連れ出していたから外に出れていたんですけれども、それがなくなってしまって家に引きこもりテレビと会話するような生活を続けていたわけです。だから眠れない。その状況に対して、睡眠薬を出したり外へ出て運動したらどうですか?と言うだけでその人が改善するわけではないんです。であれば、どうするか?もうちょっと話を聞いていくと、この人が若い頃 実は奥さんと二人で花屋さんをやっていたことがわかります。その一方で、ある市民団体が町の花壇を整理する事業をやっているということを知っています。私はこういう風に言うでしょう。「昔、花屋さんをやっていたんですか。でしたら、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど…実は私の知り合いで、 街の花壇を整理している市民団体の方々がいらっしゃるんですけども人手不足で困ってるんですよ。ちょっとお手伝いしてもらえませんか?」 と言うわけですね。そうしたら、初めのうちはその人も”何でそんな事言われなきゃいけないんだ”と訝しがるかもしれませんが、言っているうちに”先生がそこまで言うんだったらやってやらなくもないけど”と言ってくれるかもしれません。

そうすると、その方は外へ出ていって繋がりができ、役割ができ、日中運動もするようになるので、夜も眠れる。結果的に、薬を使わなくてもその人は健康になっていった。という仕組みなんです。これが社会的処方。

 

社会的処方の効果としては色々な報告があります。孤独や社会的孤立の改善、不安や抑うつの軽減、自己効力感の向上、救急の利用や病院への紹介の減少、その結果として医療コストが下がる。そもそも、病院や医療機関に持ち込まれる問題のうち、2割〜3割は医療で解決すべき問題ではないと報告されています。それを、これまではさっき言った睡眠薬みたいに 医療で解決しようとしていた。それを、社会的処方があることによって、医療で解決しない方法があるものですから結果的にコストも下がると期待されているわけです。

しかし、ここで一つ問題があります。私たち医療者というのはそんなに地域資源のことを知らないんですね。どこに何があるか知らない。そこで、その患者さんと地域資源の間に入る人が必要なわけです。それが、イギリスの中ではリンクワーカーという専門職が整備されています。リンクワーカーは、医療者から紹介された患者さんに、その人の好みだったり「何が趣味ですか?」「あなたどういう生き方をしてきましたか?」「どんなことがこれまで仕事だったんですか?」ということを聞いていく中で、”じゃあ、あなただったらこういう社会資源がありますが、どうですか?”とマッチングしてくれる専門職なんですね。 イギリスではこのリンクワーカーというのを、制度として整備して行ってます。

では、日本でもこのリンクワーカーというのをどんどん養成していくっていうのをこれから求められていることなんでしょうか。私は、日本でやっていくべきことは社会的処方を文化にしていくことだと思っています。ある人が面白いことを提唱してくれました。これからの社会というのは、地域課題を真ん中に据えて、例えばソーシャルワーカーのような専門の人がそこに関わっていくことも大事なんですけれども、それだけではなく、例えばバスケットボールプレイヤーの人が“何か地域課題を解決できることないかな”と考えたら、もうその人がコミュニティバスケットボールワーカーです。 子ども食堂をやっているあなたはコミュニティ食堂ワーカーです。 アーティストなんですか、あなたはコミュニティアートワーカー。学校の先生?コミュニティアカデミーワーカー。
そういった形で一人一人が自分の持っている資源だったり繋がりっていうのをお互いにつなぎ合わせてその地域の中で地域課題に取り組んでいく、一人一人がリンクワーカー的に働く社会というのを私は目指しています。この社会的処方を日本に取り入れていくために2018年川崎に社会的処方研究所を立ち上げました。地域の中でフィールドワークに行くためのリサーチ、フィールドワークで得た社会資源をみんなで持ち寄って事例検討をするファクトリー、そしてそこで得た情報をストックしてそれを患者さんに渡すためのストア、という3つが社会的処方研究所の主な仕組みです。また川崎から遠くにいる方でも社会的処方の情報を得られるようにオンラインコミュニティというのを作って、インターネットを通じて社会的処方の情報を配信できるシステムを作っています。そして2019年には鹿児島と熊本にも社会的処方研究所ができ、いま社会的処方は日本全国に広まりつつあります。

しかし、社会的処方というのが世界に広がっていったからといって、それだけで安楽死がなくなるというわけではないと思っています。そこまで単純なことではないです。 しかし社会的処方が必要だった人にとっては、社会的処方がなかった昨日から“社会的処方がある今日”に変わるわけです。私たちは世界を1mmでも前に進めるべきことが求められています。社会的処方を駆使して地域から社会的な死を少しでも取り除いていく、そういったことがいま求められることだと思っています。

皆さん一人一人がリンクワーカーです。社会的処方を文化にしていくために、一緒に頑張りましょう 。

【テキスト化】

地域包括支援センター 保健師 藤澤春菜

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